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京都地方裁判所 昭和59年(ワ)36号 判決

原告

野村光子

右訴訟代理人弁護士

一岡隆夫

被告

竹村光代こと

孫和英

右訴訟代理人弁護士

和田政純

主文

一  被告は、原告に対し、金二〇〇万円及びこれに対する昭和五九年八月七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを七分し、その三を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決の第一項は仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金三五〇万円及びこれに対する昭和五八年三月三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  請求原因

一1  原告は、昭和五六年三月三日、被告との間に、被告を貸主、原告を借主とする左記内容の建物賃貸借契約を締結した。

目的物件 京都市左京区田中関田町壱番地

家屋番号 壱番の弐

一 木造瓦葺弐階建店舗居宅

壱階 七〇・壱六平方メートル

弐階 六五・〇参平方メートル

のうち壱階店舗部分約八坪(以下本件店舗という)

期  間 昭和五六年三月三日から同五八年三月二日まで

賃  料 一ケ月一〇万円

敷  金 二〇〇万円

2  原告は、そのころ、被告に敷金(二〇〇万円)礼金(五〇万円)を支払い、不動産仲介業者(上田不動産こと上田日出男)に手数料を支払い、別紙目録記載のとおり内装工事、冷暖房機及び什器備品の購入などで一五〇万円を超える金員を支払い、本件店舗の引渡を受けて大衆食堂を経営してきた。

二1  しかるに後日、本件店舗は他人(孫基元)の所有で、被告にはこれを原告に賃貸する権限のなかつたことが判明した。原告は、右孫基元より昭和五七年一二月七日付通告書により明渡しを要求され、後に昭和五八年九月三日付訴状によつて不法占拠を理由とする明渡の訴訟を提起された(京都地方裁判所昭和五八年(ワ)第一五二五号事件)。

2  原告は、これに対して賃貸人である被告に、再三、事情の説明を求め、善処方を要求したが、被告は全くこれを無視し続けた。

3  原告は、これがために投下資本を回収しえないままに、昭和五八年二月末日営業を断念せざるを得なくなり、同年三月二日契約期間満了とともに本件店舗を明け渡した。

三  被告は、請求原因一の賃貸借契約締結当時、孫基元との間において本件店舗の所有権をめぐり訴訟で係争中であり、かつ原告が資金を投下して飲食店を経営する目的で本件店舗を賃借するものである旨を知つていたのであるから、このような場合被告としては、原告に対し、本件店舗が訴訟で係争中であるからその結果によつては原告の賃借権が消滅することがある旨を告知する注意義務があつたのに、これを怠つて原告に前記内容の告知をしなかつた。

四  そのため原告は、本件店舗を被告所有のものであると信じ、二年の契約期間が満了になつても更新され、相当の期間は円満に営業を続けられ、投下する資金の回収もできるものと考えて、請求原因一の契約を締結しかつ内装工事などをしたものである。

五  よつて、原告は、被告に対し、敷金二〇〇万円及び別紙目録記載の一五五万〇五四〇円の損害(民法七〇九条)のうち一五〇万円の合計三五〇万円並びにこれに対する賃貸借期間満了の日の翌日である昭和五八年三月三日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三  請求原因に対する答弁

一  請求原因一1の事実は認め、同2の事実中、原告が内装工事等で一五〇万円を超える金員の支払をしたことは不知、その余の事実は認める。

二  同二1の事実中、本件店舗は他人(孫基元)の所有で被告にはこれを原告に賃貸する権限のなかつたことは認め、その余の事実は不知。同2の事実は否認する。同3の事実中、昭和五八年三月二日本件店舗の契約期間が満了したことは認め、原告が右期間満了とともに本件店舗を明渡したことを否認し、その余の事実は不知。原告が本件店舗を明け渡したのは昭和五九年一〇月初めころである。

三  同三の事実ないし主張は争う。本件賃貸借契約締結当時は、被告、その母及び孫基元の間の本件店舗の所有権を争う第一審判決が言渡された直後で、右判決は本件店舗が被告とその母の共有であることを認めたものであつた。ところがその後、本件店舗が母と孫基元の共有である旨の第二審判決が言い渡されたのである。したがつて、本件賃貸借契約締結当時被告には原告主張のような告知義務はなかつた。

四  同四、五の事実ないし主張は争う。

第四  抗弁

一  被告は、原告に対し、以下の債権を有している。

1  本件店舗の昭和五七年一二月から昭和五八年九月までの未払賃料債権合計一〇〇万円。

2  昭和五八年一〇月初めころ、綿文工務店に対する本件建物の原状回復のための工事代金立替債権六〇万円。

3  昭和五八年一〇月初めころ、栄興看板店に対する看板製作立替代金債権二〇万円。

4  昭和五七年一〇月から昭和五八年九月までの水道料金立替債権一四万円。

5  昭和五七年六月ころ三木水道店に対する水道工事代金立替債権六万円。

以上合計二〇〇万円

二  右債権は本件店舗の賃貸借契約により被告が原告に対して取得したものであるから、これらを控除すると被告が返還すべき敷金は存在しない。仮に右契約によつて取得したものでない債権があるとしても、被告は、昭和六〇年一月二五日の本件第七回口頭弁論期日において、右債権をもつて原告の敷金返還債権とその対等額において相殺する旨の意思表示をした。

第五  抗弁に対する認否

抗弁一の各債権の発生は否認する。同二前段の事実ないし主張は争う。

第六  再抗弁

請求原因二1の事実中「昭和五七年一二月七日」を「昭和五七年一二月一日」と訂正するほかは、右二1の事実を援用する。原告は、孫基元の明渡請求により、本件店舗を使用収益することができなくなるおそれを生じたのであるから、原告は、右明渡請求を受けた時以後は、被告に対し賃料の支払を拒絶でき、抗弁一1の未払賃料は存在しない。

第七  再抗弁に対する答弁

再抗弁事実中、本件店舗は孫基元の所有であり、これを原告に賃貸する権限が被告になかつたことは認め、その余の事実ないし主張は不知ないし争う。

第八  証拠〈省略〉

理由

第一まず敷金返還請求の点について検討するに、

一原告が昭和五六年三月三日請求原因一1の契約を締結して被告から本件店舗を賃借し、そのころ被告に敷金二〇〇万円を交付したこと、右賃貸借契約が昭和五八年三月二日期間満了によつて終了したことは当事者間に争いがない。

二本件店舗の明渡時期についてみるに、〈証拠〉によれば、原告は、昭和五八年二月末日本件店舗での大衆食堂の営業をやめ、遅くとも同年一〇月初めに被告に対し本件店舗を明け渡したことが認められ、これを覆すに足る的確な証拠はない。

三敷金返還債務は、本件店舗明渡債務の履行がその発生要件であり、かつ右明渡債務の履行に対し後履行の関係にあるから、原告としては本件店舗を明け渡した昭和五八年一〇月初めより以後に被告に対し前記二〇〇万円の敷金の返還を請求しうることとなる。ところで右敷金返還請求権は特段の事情のない限り期限の定めのない債務として履行の請求により遅滞に陥るものと考えられるところ、本訴においては遅くとも訴状によつて履行の請求をしたことが明らかであるから、その翌日(記録上昭和五九年八月七日であることが明らかである)から遅滞に陥つたものというべきである。

第二次に不法行為による損害賠償請求の点についてみるに、

一まず過失の存否について検討するに、

1 他人の物の賃貸借契約はそれ自体有効であり、その契約が他人の物を目的としていることに基因して履行不能をきたすときは、債務者に対し担保責任そして要件を充せば債務不履行責任を課し、債権者の法的保護に遺漏のないよう規定・解釈されているのであるから、契約締結の際借主において目的物が貸主の所有物であることを特に条件としたり、或いは所有者の承諾を得ることか頗る見通し困難で契約の履行が不能になる高度の蓋然性が認められるなどの特段の事情のある場合を除いては、貸主には契約締結の際借主に対し目的物が他人の所有に属することを特に告知する義務を負わないものと解する。そしてこのことは、貸主がその目的物について他と訴訟で係争中である場合にも妥当すると解する。

2 本件についてこれをみるに、被告の供述及び弁論の全趣旨によれば、被告はかねてより孫基元との間に被告占有の本件店舗の所有権をめぐつて係争中であつたが、本件店舗につき被告の所有権(その母との共有権)が認められ孫基元の所有権を否定した第一審判決が言渡され、孫基元の申立により事件が控訴審に係属中であつた時期に、前叙第一、一の本件店舗の賃貸借契約が締結されたことが認められ、右事実によれば、本件店舗が孫基元のものである旨、また孫基元との間で本件店舗の所有権をめぐつて訴訟で係争中である旨告知する義務を被告に認むべき特段の事情があるとはいえない。なお、前掲証拠によれば、被告は右契約締結の際原告が資金を投入して本件店舗で大衆食堂を経営する目的で本件店舗を賃借するものである旨知つていたこと、及び後日控訴審において第一審判決を覆し孫基元に本件店舗の所有権(前記母との共有権)を認め被告の所有権を否定する判決がなされたことが認められるが、右事実によつては未だ告知義務の存否に関する前記判断を左右するに至らない。そうしてみると、被告が本件店舗を原告に賃貸する旨契約したこと自体に過失があつてそれがひいては不法行為を構成する旨の原告の主張は採用することができない。

二なお、損害の点についても検討を加えるに、

1 〈証拠〉によれば、原告は、本件店舗の所有者が被告であると思い、契約期間は二年間と定められているけれども、その後も更新によつて相当期間大衆食堂の営業が続けられると考え、前叙第一、一の賃貸借契約を締結したうえ、別紙目録1ないし14及び16の各出捐(但し目録1の金額欄の「一四一、八四〇」を「一四一、六四〇」と改める)をしたことが認められ、なお目録15の出捐については、〈証拠〉中これに符号する部分は未だ曖昧であつて採用できず、他にこれを認むべき確たる証拠がない。

2 しかしながら、以下の理由により右出捐を損害と認めることはできない。即ち、前記第一、一及び二から明らかなように、原告は契約で定める二年の期間本件店舗で大衆食堂を営業したものであり、前記1認定の別紙目録記載の各出捐の大部分が、不動産業者への仲介手数料、消耗品の什器備品、消耗品でないが他所で大衆食堂を営業するならば流用できる什器備品などであり、減価償却の点もあるから、(原告には前記1で認定した経緯に照らし不満が残るであろうとは思われるが)前記出捐は最少限度の目的を達したものとみるのが相当であり、そうしてみると右出捐をもつて損害であると評価することはできない。

三よつて、原告の不法行為による損害賠償請求は理由がない。

第三そこで抗弁についてみるに、

一抗弁一1につき、被告の供述及び弁論の全趣旨によれば、原告は昭和五七年一二月から本件店舗明渡直前の昭和五八年九月までの間の一か月一〇万円合計一〇〇万円の賃料を被告に払つていないことが認められるが、原告が右賃料を被告に支払う義務を負つていたか否かについては後記再抗弁に対する判断の項(第四)で検討する。

二抗弁一2ないし5に符合する証拠として被告の供述及びこれによつて成立の認められる乙第一号証があるけれども、全般的にみて乙第一号証を除けば領収証など被告の出捐を裏付ける証拠がなく、乙第一号証の場合を含めて原告の本件店舗の返還に基因する現状回復工事か被告が本件店舗で「菊万」の屋号で始めた焼肉店のための内装工事かの区別に分明でないところがあり(抗弁一2、3に関し)、各月毎の明細もわからず(同一4に関し)、原告の負担すべきものといえるのかその帰責原因が曖昧であり(同一5に関し)、結局前掲各証拠によつては未だ抗弁一2ないし5の債権の発生を認めるに至らず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

第四再抗弁についてみるに、本件店舗が孫基元の所有であり、被告にはこれを原告に賃貸する権限がなかつたことは当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、本件店舗の所有者の孫基元は、昭和五七年一一月三〇日ころ、原告に対し、本件店舗が孫基元の所有であること、被告には本件店舗を賃貸する権限のなかつたこと、以後六ないし八か月以内に本件店舗を明け渡すべきこと、原告が本件店舗の賃借を始めた昭和五六年三月三日から明け渡し完了に至るまでの賃料相当損害金の請求をすることの通告書を発し、これはそのころ原告に到達したこと、そこで原告は、昭和五七年一二月一五日、権利者を確知できないとして本件店舗の賃料を供託するとともに、同月一七日、被告に対し、内容証明郵便でもつて、孫基元から右通告書を受け取つたことを知らせるとともに、孫基元の前記原告に対する要求の排除などを求める通知をしたこと、しかるに被告において孫基元との間のトラブルを解決するに至らなかつたため、原告は、昭和五八年三月二日、本件店舗での大衆食堂の営業をやめたのであるが、被告からの敷金返還の目途がつかないので、右敷金返還を請求しつつ明渡を見合わせていたこと、そして同年六月二二日には、被告が原告に対し敷金二〇〇万円の返還義務あることを認め、原告は(本件店舗の明渡をする趣旨ではないが)被告に本件店舗の鍵を交付したこと、原告は、その後同年七月四日には、孫基元から本件店舗に施錠をする旨の通告を受け、同年九月三日付で、孫基元から本件店舗の明渡と賃料相当損害金の支払を求める訴を提起され、結局遅くとも同年一〇月初めには本件店舗を被告に明け渡したことが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。そして右事実によれば、孫基元から本件店舗の明渡と賃料相当損害金の支払を請求された昭和五七年一一月末日ころ以後は、原告において本件店舗を使用収益する賃借権を主張することができなくなるおそれが生じたものであるから、原告は被告に対する賃料の支払を拒絶することができたものである。よつて被告が、昭和五七年一二月から昭和五八年九月までの一〇か月分合計一〇〇万円の未払賃料につき、これを敷金から控除すべきである旨主張するのは、理由がない。(なお抗弁二後段の主張についても前叙の次第で理由がない。)

第五そうしてみると、原告の本訴請求は、前記敷金二〇〇万円とこれに対する訴状送達の日の翌日(昭和五九年八月七日)から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、これを認容し、その余の請求は理由がないのでこれを棄却し、民訴法八九条、九二条、一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官重吉孝一郎)

目録

品目

金額

支払先

甲号証

1

炊飯器、フライヤーなど

141,840

(株)きたむら

10

2

どんぶり、小皿など

62,000

(株)つる屋陶器店

11

3

うどんつけ釜

54,450

(有)北野商店

12

4

和風サンプルケース

114,450

(株)木村陳列

13,28

5

鍋、しやもじなど

63,000

リビングショップ尾崎

14

6

クーラー、冷蔵庫など

590,000

三岳工業(株)

15

7

クーラーなど工事費

38,000

同上

20

8

のれん

16,000

中川染織

17

9

レジスター

55,000

関西事務機工業

19

10

おしぼり

12,900

八田タオル(株)

18,22

11

看板

38,500

東海電工(株)

24

12

味楽 印版

9,000

松林銀壺堂

25

13

30,400

堀畳商産工場

26

14

ざぶとん

25,000

MIYASITA

27

15

内装

200,000

16

賃貸借仲介手数料

100,000

上田不動産

29

計1,550,540

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